簡単に経歴を教えてください。
結構異色の経歴だと思うんですが、簡単に経歴を教えてください。
高校でアメフトやって、東大でもアメフトやってたひとが、大学院へいって国連でインターンしてますよね。これは何があったんですか?
東京大学教育学部を卒業したあとで、大学院では実は経済関係の勉強をしたのね。その前に一年、独学で経済の勉強やっていて、まあ、留年したんだけど アメフトのせいで(笑)
で、とにかく、その勉強の成果をもって、
それを政策研究大学院大学の、国際関係学専修ってところへいったのね。
何を勉強したかというか、とりもなおさず、発展途上国と呼ばれる国が、先進国やその一歩手前にいくためには、どうしたらよいかを勉強するところで、将来的にはJICAや国際協力銀行へ進んだり、公務員が国内留学でくるところなんだけど、その時に国連でインターンをするチャンスがあり、英語もそこそこできたので行ってみようというのがきっかけです。
「人の役にたてるようなことをやりたい」ってときに、どうして国際協力だったんんでしょう。
よいとか悪いではなく別にそうじゃない方向もたくさんありますよね?
ただ、僕自身はそういうタイプではなかったから、最終的にはJICAとかを目指そうとしたんだろうね。
「人の役にたてるようなことをやりたい」と思うことにや大学院へ進むことは何かきっかけはあったんですか?
それまで、高校大学とアメフトがすごく楽しかったわけですよね。
それが一度大学で終わって、さあその先に何をしようかってときに、
その先は、もともと自分は儲からなくても良いから、その分人が誰か一人でも二人でも、ちょっと手伝ったおかげで、良くなったと思えることを求めてた。社会福祉的な精神が強かったでしょうね。それはね、分かる人とわからない人がいると思う。たぶん。
でもそのあと民間の会社につとめますよね?
そのときに、民間で国際的にも展開していて、いろいろ学べそうところを考えていたら、SONYが一番それに当たっていて、もう一個は任天堂を受けていて、それは単純にゲームがすきだからなんだけど。
民間的な経営の仕方を学ぼうと、それから政府のほうへいった方が、絶対に役にたつからと。
でも、そのあと アナウンサーになるのはなんでですか?
28歳のときに、プレゼンテーションの練習をしたいと思ったのね。
プレゼンの機会がすごく多くて、そのときに、しゃべるって大事だなと思って、声の貼り方とか、それで週一回のアナウンサー教室へいったわけ。
あめんぼ あかいな あいうえお?
そのときに考えて。
誰でもできる仕事でもないだろうから、はじめ数年はアルバイトとかもするんだろうけど、やってみてもよいかもしれない、将来的に別の形で、国際協力に関われたら、それはそれで良いのかもしれないと。
何かことを起こすなら、20代の最後のいまだ! で、SONYを辞めて、そこから年収200万円未満生活が3年間はじまるわけです。。
それ、後悔はなかったんですか・・・?